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コラム:ロック最後のカリスマ、ニルヴァーナ、カート・コヴァーン

この記事の最終更新日:2006年10月9日

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1、グランジとパンクの類似性について

グランジおよび90年代ロックを代表するバンド、ニルヴァーナの世界的ヒット作の題名は「NEVERMIND」です。70年代パンクブームの代表的バンド、セックスピストルズの唯一のオリジナル・スタジオアルバムの名前は「NEVERMIND THE BOLLOCKS」。共通性。

セックスピストルズが世界を制覇した後、パンクスピリットを持つバンドは、長らく世界最強の座から遠く離れていました。ロック=パンクにとって暗黒の80年代が終わった後、突如現れたシアトルのグランジ勢。突然音楽革命が起きたかのような、パンク精神の復活。しかし実際は、70年代に世界を席巻したパンクスピリットは、80年代アンダーグラウンドシーンでしぶとく生き続けていたのでした。

グランジは、インディー市場からまず人気が高まっていきます。原始的で商売気がなく、刹那の叫びで、貧しくて息苦しくて、ギターソロは超絶テクニックをひけらかすものでなく、おんぼろの若者がそのままステージにあがったような姿。これはまさしくパンクです!

ずたぼろの音楽だったパンクが、突如ヒットチャートを制したように、グランジもインディーズの生臭さを残したまま、ヒットチャートを駆け上がります。かつてのパンクが超絶テクのハードロックや、芸術的プログレッシブロック、ステージ演出過剰的グラムロックの虚飾性、欺瞞性をぶっ飛ばしたように、グランジはMTV的な産業ロック、ハードロック、ヘビーメタルの虚構性をことごとく破壊します。かっこつけは全て欺瞞。金儲けに走るバンドも全て欺瞞。真正直なロックの叫び。腐りきった大人が作り上げた未来が見えない世界への抵抗。グランジ、すなわちロックのオルタナティブは、決して正規品の代用品などでなく、本物のロックを提示しています。

グランジブームの中心にいたニルヴァーナ。カート・コヴァーン。自殺。ロック音楽自体のメインストリームからの転落。全てを破壊し、自分自身まで破壊して、何もかもが終わってしまう。




2、ニルヴァーナ人気の要因分析

ニルヴァーナの音楽は素晴らしいし、聴きやすくもありますが、個人的にはパール・ジャムの方が好きだし、スマパンの詩的世界も大好きです。

では何故、グランジといったらニルヴァーナなのか。

カート・コヴァーンが、人気の絶頂で死んだからなのか。

ニルヴァーナがグランジという一大音楽ムーブメントの中心に来た原因は、カート・コヴァーンの発言力にあると思います。ただ単にやたらめったら暴言吐くからかっこいいのでしょうか。

細木さんみたいに歯に絹着せず、率直な意見を発言する人間は、マスメディアにおいては大きな注目を集めます。カート・コヴァーンもまた、ジョン・レノンやアクセル・ローズやギャラガー兄弟みたく、ガンガン本音の意見を吐きます。それは確かにメディアの注目を集めますが、カート・コヴァーンの求心力とはずばり、今まであったロック音楽のインチキな部分を徹底的に批判した点にあると思います。批判する相手にどんなに立派な権威が備わっていても、リスペクトしている大勢のファンがいても、そんなの関係ありません。自分の価値基準にそって、だめなものは徹底的にたたく。この真実性、嘘偽りのなさが実にかっこいい。商業にのったロックは全部大嘘、全否定。

カート・コヴァーンが徹底的にかみついたことによって、ガンズ&ローゼスは相当な被害を受けました。ニルヴァーナ登場後のガンズおよびアクセル・ローズの迷走ぶりを見れば、どれだけカートが影響力を持っていたかわかるでしょう。ガンズはパンク精神も持ち合わせていたから、グランジブームの牽引者になりうる可能性もありましたが、商業ベースに乗っていたガンズは、カートによって徹底的に批判されます。

カートがリスペクトする上の世代のアーティストと言えば、ソニック・ユースにR.E.M.です。ガンズの音楽と、ソニック・ユースやR.E.M.の音楽は、異なる価値観にのっとって創られています。

カートがアクセル・ローズに感じた敵対心は、似た者同士が持つ拒否反応だったのかもしれません。しかし、カート・コヴァーンが身を置いたグランジは、ハードロックとは異なる、「つくりものではない真実さ」という価値観を持っていました。

インディーズとメジャーの境界を消失させ、プロとアマチュアの区別をなくしたグランジも、カートの死とともに、歴史の一地点として過去のものになっていきます。

ニルヴァーナ最後のスタジオアルバム「イン・ユーテロ」は、絶体絶命の叫びに聞こえます。




3、カート・コヴァーンの自殺をめぐるメディアの狂騒


カート・コヴァーンはロックスターになるのが嫌でした。サリンジャー的に言えばインチキでしかないロックスター。作り物。虚像。ゴシップ。精神的プレッシャー。

カートは商業音楽をとことん否定するのに、何故かメディアはカートの周りにつきまといます。自分たち自身がぼろくそに否定されているのに、マスメディアはこぞってカートの批判発言を大々的に公開します。

マスメディアにとっては、自分たちがどんなに罵倒されようが関係ありません。

カートの発言が多くの視聴者の共感を呼ぶこと。カートの様子を見たいと多くの人が思うこと。カートが露出するメディアの視聴が増えること。カートを取り上げることで、マスメディアが大きな利益を獲得することノノ

利益をむさぼるショウビジネスを批判することが人気を呼び、批判している相手、ショウビジネスに莫大な利益をもたらしてしまうという哀しいパラドックス。

ファンからも、記者からも絶えず監視され、あることないこと言われ、かつての仲間からも見放され、精神的に追いつめられたロック最後のカリスマは、自殺します。この悲劇もまた、多くの人が見たい聴きたいと望むことであれば、メディアは大々的に宣伝します。こうして書いている私自身も、そんなリングの哀しい一部ノノ

メインストリームとアンダーグラウンドの垣根は、グランジによって完全に破壊されました。家で誰もが気軽に音楽を創れる時代の到来です。インターネットで誰もが作品を発表できます。もうプロとアマチュアの境界はありません。しかし、グランジ後、ロックはユースカルチャーの中心から周辺へと身をひきます。というか、グランジブームの頃から、ロックはすでに人気の衰退期に入っていました。80年代にMTVでメタルや産業ロックを聴いていた若者は、90年代にはヒップホップを楽しみます。

カートの死後、ニルヴァーナの次にくるカリスマは誰かと騒がれました。ベックなのか、レディオヘッドなのか、どんな新しいバンドが次の一大ロックムーブメントを起こしてくれるのか、多くの人が期待しました。しかし、パンクの後、ロックが一気に勢いを失うように、グランジの後、ロックは本当にショウビジネスの中心から退場しました。ラウドロックは、グランジほどの一大ブームとはなりえませんでした。カート・コヴァーンほどの強烈なキャラクター、発言力、人気を持つカリスマは、なかなか現れませんでした。

カートの次に現れた、若者全体のカリスマと呼べる人物は、エミネムだと思います。

エミネムと、ロックとヒップホップのポストコロニアル的関係についてはまたいつか。

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